題名のない文章たち

日記のような、そうでないような、そんなただの文章のあつまり

網膜剥離になった話 その2

月曜日さっそく紹介された大病院へ。
予約できなかったため、朝一の受付開始時間ちょうどに着くように行くが既にたくさんの人。

初診受付で待たされ、眼科の受付で待たされ、視力眼圧検査で待たされ、散瞳薬が効くまでまたされ・・・ととにかく待たされまくり。

こんなに待たされたのに診察と眼底検査は10分くらいだから嫌になるところ。
肝心の眼底検査の結果、網膜剥離であることが確定。レーザー手術は無理、手術での治療しかない。手術を受けたら1週間くらい入院。

いつ手術する?いつでもいいよ?
とか言われながら、頭の中をぐるぐる回るのはテストはどうする?レポート提出は?ゼミの発表は?と大学のことばかり。

とりあえず手術の日付だけ決めて、説明を待っている間に親と連絡のやり取りをする。

手術は2週間後。ほとんど自覚症状がないため遠い誰かの身に起きた出来事のように感じたり、落ち込んだりを繰り返しながら帰る。

2週間後に網膜剥離の手術入院になってしまった。詳細はまた後日。(書いている現在は手術前のため)

網膜剥離になった話 その1

左目が網膜剥離になったときの話を書いておこうと思う。

眼鏡を買い換えるために処方箋をもらおう、ついでになんか最近左目が変だから念のため見てもらおうと思って近所の眼科へ行ったのが土曜日。

眼鏡の処方箋のほうはちょちょっと視力検査をしてもらって終わり。でも、次の左目の検査の雲行きが怪しかった。

病院に行く、2週間ほど前から左目目尻にフラッシュのようなものが見えるようになった。頻度は1日に1度あるかどうか。最初は眼鏡になにかの光が反射したのだと思って全く気にもとめず。
それが気がつけば、毎日見えるような気がする、今まで見えなかったような場所で光が見えるように。これはおかしい。
見え方に変化はないが、フラッシュがちょくちょく見えるのはストレス。
ということで、眼科へ。

光が見えるという症状は網膜剥離の可能性があるらしく、眼底検査をすることになった。字のまま目の奥の網膜あたりをよくよく見てみましょうというもの。
この検査で使われるのが散瞳薬。簡単に言うと、瞳孔を開きっぱなしにする薬で、瞳孔が開いたところで強い光を当てつつ目を検査する。
この薬が効いてくるまで30分ほどかかるのだが、ピント調節機能も同時に麻痺するので待ってる間に読んでいた本の文字がだんだん読みづらくなり最終的には老眼のお爺さんが新聞を読んでる時のように本を近づけたり遠ざけたりしなければいけなくなった。これは少しおもしろい体験だった。

肝心の眼底検査は、医師の指示通りに四方に目を動かしていく。これがなかなか大変。瞬きができないのと光を当てられてるのとで涙がだらだら出てくる。瞬きしたいけど、指で開かれててできないというもどかしさは言葉では表現しにくい。是非ちょっと瞼を押さえて試してみて欲しい。

左目、最初はホワイトウィズアウトプレッシャーに見えるということだった。これは簡単に言えば目玉に白いほくろみたいなものがあるだけで全く問題ないものであるらしい。しかし亀裂に見えなくもないとのこと。なので更に詳しく見るために拡大鏡を目に入れるという。

大鏡をはめるために目薬の麻酔薬を入れられた。おかげで目に直接レンズをはめられても全く痛くもなんともなかった。ついでに、頭が動かないようにと綺麗な看護婦さんに頭を押さえつけられるというオプションつき。

これで出た結果が、網膜に亀裂が確認できるということである。紹介状をもらって月曜日に大きい病院へ行くことになってしまうのだった。

とあるイベントに参加した話

とあるバンドの曲だけをDJの人たちが流し、お客みんなで聞いて楽しむというイベントに参加してみた。(DJイベントでいいのかな?)

もちろん、LIVEではない。
バンド本人は来ないし、生演奏でもない。
簡単に言えば大音量で大人数でCDを聞いているようなものである。

不思議な空間だった。
暗い会場、回るミラーボール、スクリーンにはLIVE映像、流れる音楽、足の下から響くベースの音。
前の方にはLIVEのように、手を挙げ、飛び跳ねて盛り上がる人たち。後ろの方にはお酒を片手に静かに体でリズムを刻んでいる人たち。
歌を口ずさむ人、おしゃべりする人、好きという気持ちを余すこと無く表現する人。

ここにいる人たちは、ほとんどが他人のはずなのに、普段何気なく暮らしていたら出会うはずもない人たちなのに、なぜだかそこにいるのが心地よくてみんな昔から知ってる人のように感じる。

体でリズム刻んでみた。心も弾むようだった。
前でたくさんの人と一緒に手を上げてみた。この一体感はなんだろう。
後ろから会場全体を眺めてみた。夜の中でゆらゆら揺れる水面のように見えた。

同じバンドが好きということだけで繋がる人たち。その中に私もいた。
私の好きな音楽を、好きになっている人はこんなにもたくさんいる。

なんだか、ひとりぼっちじゃないような気がした。

部屋と本

今週のお題「わたしの部屋」

私の部屋には本がたくさんある。と言っても、ちょっと本が好きな人程度の量しかないので本好きの人達には劣るくらいと形容しておこうと思う。

そして、私は生粋のめんどくさがりやである。それら二つの要素が重なるとどうなるかと言うと、もちろん本が散らばるのだ。本棚に片付けるということの面倒くささは、めんどくさがり屋ではないたくさんの人達には理解し難いことだろう。

まず、買ってきた本は本棚の中には入らない。袋から出してベッドや机から手の届くところに積み重ねられる。読み途中の本は、読んでいた場所に積み重ねられる。机で読んでいたなら机の上に、寝る前に読んでいたのなら枕元に、移動中に読んでいたのならそのとき持っていた鞄の中にそのままになる。読み終われば読み終わった場所の一番近くの読み終わった本たちが積み重ねられている場所の上に乗せるだけだ。

というわけで、私の部屋にはいくつもの本の山がある。気が向いたとき、そして「これではいかん」と思ったときに気まぐれに本棚の中に読み終わった本は入れられるが、それだけではもちろん全ての本が片付けられるという訳ではない。片付けようと思ったものの、その最中に気になった本に手を出してしまいそのとき片付けられるはずだった本たちの山が本棚の上にできてしまっていさえする。

それに私はその場に積み上げられた本たちは、その場所に片付けられているような気がする。そういえばこんな記事も書いていた。

 

natsumikan5.hatenadiary.jp

 この記事を書いた時よりも散らばる者達は増えている。私の部屋には本が欠かせない。本があるから私の部屋であり、私の部屋には本が必要なのだ。

まだ私に読まれていない本たちは、自分の場所でじっと出番を待っている。もう読まれた本たちは、置かれてしまった自分の場所にじっと佇んでいる。もちろん綺麗な部屋ではないが本に囲まれた部屋が私は好きだ。

これからもきっと、本は増え続けるだろう。

 

めんどくさがりというのは病だと思う。

皿を洗う、洗濯物を取り込み畳む、畳んだものを片付ける、部屋を片付ける、お風呂に入る、着替える…といったちょっとしたこともなにもしたくなくなってしまう。

食事を作ることさえもめんどくさいのでしたくない。買い物に出かけるのもめんどくさいので食べない。

本を読むのも、録画した番組を見るのも、勉強するのもめんどくさい。

 

なにかしなければ、こんな何もせずに転がっているだけの生活は止めなければ、今日もまた1日何もできなかった、と自己嫌悪は募るばかりででも何もできない。動き出せない。

やはり病のようだと思う。何もできないのならせめて、ただそこにあるだけの石ころや木のようになりたいと思う。そうやって転がっていつか朽ちてしまうのを待つ石ころになれば、自己嫌悪することもなくなるだろう。

そして今日もまた、何もできなかった。

3歳児の写真を見て思ったこと

どうやら世間では、虐待のすえ3歳児が殺されるという痛ましい事件が起こったらしい。
子供は親の人形ではないし、自分と同じように目で物を見て頭で物を考えているのだということが分かっていれば、そのようなことができるとは私には思えないのだが、それは今回私が感じたことの本質ではない。

更に、私はこの事件がどんなに悪いことであって親は罰せられるべきであるとか、子供が可哀想すぎるとかそういうことを言いたい訳でもない。

私が衝撃を受けたのは、ネットニュースに挙がっていたその3歳児の写真である。きちっと正座をし、背筋を伸ばし、肩に力が入り、縮こまっている。

一般の人から見れば、こんな小さい子供がこんなに縮こまって・・・と衝撃を受けるのだろうと思うが、私が衝撃を受けたのはそういう理由ではなくそれが私の姿に見えたからだ。

私は一般的な家庭で何不自由なく育ったということだけまずは断っておく。

それなのに、自らが傷つく事を何よりも恐れて自分の中の一番大切な何かを守るために自分の周りに殻を作っていた時期がある。(ある意味では今でもそうだし、誰にでもその殻は存在するものではあるのだが)私の殻の何が問題であったかと言うと、それが必要以上に厚く硬かったことだ。その当時私は必要以上に厚いその殻を、更に強く厚くしていたように思う。

その殻は私の行動と気持ちまでもを外に出さなくなってしまっていた。何もしなければ、傷つかない。何も言わなければ、誰にも嫌われることはない。そんな間違った考えに雁字搦めにされ、自分を守るためのものが自分を苦しめていた。

体を縮こめた3歳児の姿が、その当時の私の姿と重なって見えた。実際に正座で縮こまっていた訳では無いが、なぜか重ねずにはいられなかった。周りの人間に、生気がないと言われた理由が今なら分かる。

その3歳の子供も自分を守ることに必死になっていたのだろうと想像してみる。自分を守るために一生懸命に盾を作る。固く強く、誰にも破られないものだ。体を守るためのものではない。それは心を守るものだ。

もしも、生まれ変わりというものがあるのならば、次は幸せな家庭に生まれて欲しいと思う。そのように自分を守る殻を作る必要のない場所に。

私はと言えば、厚くなりすぎた殻を今もまだ少しずつ内側から壊している最中である。