題名のない文章たち

日記のような、そうでないような、そんなただの文章のあつまり

小さな机

あの人は今日も小さな机の、小さなスペースで紙を広げて本を広げて自分の心を抉りながら、見たくなかったものをほじくり返しながら、物語を紡いでいるのだろう。

 

そして私も、小さな机の小さなスペースで、自分の中に仕舞っておくことの出来ないなにかを外に出したくて、心を削りながら、物語を紡ごうとしている。

網膜剥離になった話 その3

診察の際に手術は痛いと言われていたので、嫌だなぁ嫌だなぁと思いつつ手術当日、入院準備をして病院へ

朝母親と一緒に入院手続きと、手術前の診察を済ませると病棟へ。大部屋が空いてなかったため、個室に通される

とても広い、トイレ、洗面台、ソファー付き。個室なのでテレビも音量小さくしてれば自由に見れるということで、付き添いの母と病室でテレビを見つつ過ごすことに

この日私の手術は夕方5時からの予定になっていたため、昼前から入院した私は暇を持て余していたのである

 

ただ、緊張しすぎてトイレに何度も何度も行っていた。個室にトイレついててよかった

 

午後1時過ぎから、手術前の点眼開始。基本的には手術まで30分おきに3種類の目薬をさす。ほぼ散瞳作用のあるものだった気がする。これは看護師がさしてくれる

 

その後3時の4回目の点眼の時間を過ぎても看護師が来ないため少し不安になる。しばらくして現れた看護師に手術が早まったので10分後に迎えに来ると言われる。

このときはもう既に私の緊張はピークで、とにかくトイレだけは済まさないととしか考えられなかった

 

手術室までは看護師が車椅子で運んでくれる。普通の人は通れない関係者専用の通路をいくつも通ったのだが、近眼のせいもあってよく見えなかったのが残念だった。(眼鏡ないとほとんどなにも見えないが眼鏡は外しておいてという指示だったため)

 

手術室に入ると、まず血圧計を取り付けられその後心臓の周りにコード、人差し指に心拍計を取り付けられ、そのまま歯医者にあるような椅子に座らされた。そしてその椅子を倒される。足が上で頭が下という感じに寝ていたと思う

黒い消毒液で目を洗い目の周りも消毒されると酸素吸入のチューブを鼻に取り付けられ、「まずこれを頑張りましょうね」と言われながら麻酔を左目にぶっ刺された。これが痛い。針が刺さるのも痛ければ麻酔を打たれてる最中も痛い。針を抜く時もまだ痛い。その後左目だけ穴の空いた布を顔にかけられ左目を開いたまま固定された。このときまだまだ左目はばっちり見えていたので、このままずっと見えてるままだったらどうしようとだけ思っていた。手術が始まるとライトで照らされて白い光だけしか見えなくなって安心したが、なんとなくうっすらとシルエットは見えていた

 

手術が始まると最初はなにかパチパチされてるような音が聞こえるだけで、触られてるのか針を刺されているのか何されてるのか全く分からなかった。しばらくするとぐぐぐっと目頭のほうを何かで思いっきり引っ張られているような感覚がして、これが痛くはないがなんとなく気持ちが悪かった。

 

その後だんだん、なにかでチクチク刺されてるような痛みとなにかを引っ張られる痛みが強くなってきた。最初は右手を握って耐えていたが我慢出来なくなって申告すると、麻酔を追加してくれた。追加した後は先生が「今痛みはどうですか」とこまめに聞いてくれるようになったので助かった。結果として麻酔の追加は2回してもらった。

 

 

 

網膜剥離になった話 その2

月曜日さっそく紹介された大病院へ。
予約できなかったため、朝一の受付開始時間ちょうどに着くように行くが既にたくさんの人。

初診受付で待たされ、眼科の受付で待たされ、視力眼圧検査で待たされ、散瞳薬が効くまでまたされ・・・ととにかく待たされまくり。

こんなに待たされたのに診察と眼底検査は10分くらいだから嫌になるところ。
肝心の眼底検査の結果、網膜剥離であることが確定。レーザー手術は無理、手術での治療しかない。手術を受けたら1週間くらい入院。

いつ手術する?いつでもいいよ?
とか言われながら、頭の中をぐるぐる回るのはテストはどうする?レポート提出は?ゼミの発表は?と大学のことばかり。

とりあえず手術の日付だけ決めて、説明を待っている間に親と連絡のやり取りをする。

手術は2週間後。ほとんど自覚症状がないため遠い誰かの身に起きた出来事のように感じたり、落ち込んだりを繰り返しながら帰る。

2週間後に網膜剥離の手術入院になってしまった。詳細はまた後日。(書いている現在は手術前のため)

網膜剥離になった話 その1

左目が網膜剥離になったときの話を書いておこうと思う。

眼鏡を買い換えるために処方箋をもらおう、ついでになんか最近左目が変だから念のため見てもらおうと思って近所の眼科へ行ったのが土曜日。

眼鏡の処方箋のほうはちょちょっと視力検査をしてもらって終わり。でも、次の左目の検査の雲行きが怪しかった。

病院に行く、2週間ほど前から左目目尻にフラッシュのようなものが見えるようになった。頻度は1日に1度あるかどうか。最初は眼鏡になにかの光が反射したのだと思って全く気にもとめず。
それが気がつけば、毎日見えるような気がする、今まで見えなかったような場所で光が見えるように。これはおかしい。
見え方に変化はないが、フラッシュがちょくちょく見えるのはストレス。
ということで、眼科へ。

光が見えるという症状は網膜剥離の可能性があるらしく、眼底検査をすることになった。字のまま目の奥の網膜あたりをよくよく見てみましょうというもの。
この検査で使われるのが散瞳薬。簡単に言うと、瞳孔を開きっぱなしにする薬で、瞳孔が開いたところで強い光を当てつつ目を検査する。
この薬が効いてくるまで30分ほどかかるのだが、ピント調節機能も同時に麻痺するので待ってる間に読んでいた本の文字がだんだん読みづらくなり最終的には老眼のお爺さんが新聞を読んでる時のように本を近づけたり遠ざけたりしなければいけなくなった。これは少しおもしろい体験だった。

肝心の眼底検査は、医師の指示通りに四方に目を動かしていく。これがなかなか大変。瞬きができないのと光を当てられてるのとで涙がだらだら出てくる。瞬きしたいけど、指で開かれててできないというもどかしさは言葉では表現しにくい。是非ちょっと瞼を押さえて試してみて欲しい。

左目、最初はホワイトウィズアウトプレッシャーに見えるということだった。これは簡単に言えば目玉に白いほくろみたいなものがあるだけで全く問題ないものであるらしい。しかし亀裂に見えなくもないとのこと。なので更に詳しく見るために拡大鏡を目に入れるという。

大鏡をはめるために目薬の麻酔薬を入れられた。おかげで目に直接レンズをはめられても全く痛くもなんともなかった。ついでに、頭が動かないようにと綺麗な看護婦さんに頭を押さえつけられるというオプションつき。

これで出た結果が、網膜に亀裂が確認できるということである。紹介状をもらって月曜日に大きい病院へ行くことになってしまうのだった。

とあるイベントに参加した話

とあるバンドの曲だけをDJの人たちが流し、お客みんなで聞いて楽しむというイベントに参加してみた。(DJイベントでいいのかな?)

もちろん、LIVEではない。
バンド本人は来ないし、生演奏でもない。
簡単に言えば大音量で大人数でCDを聞いているようなものである。

不思議な空間だった。
暗い会場、回るミラーボール、スクリーンにはLIVE映像、流れる音楽、足の下から響くベースの音。
前の方にはLIVEのように、手を挙げ、飛び跳ねて盛り上がる人たち。後ろの方にはお酒を片手に静かに体でリズムを刻んでいる人たち。
歌を口ずさむ人、おしゃべりする人、好きという気持ちを余すこと無く表現する人。

ここにいる人たちは、ほとんどが他人のはずなのに、普段何気なく暮らしていたら出会うはずもない人たちなのに、なぜだかそこにいるのが心地よくてみんな昔から知ってる人のように感じる。

体でリズム刻んでみた。心も弾むようだった。
前でたくさんの人と一緒に手を上げてみた。この一体感はなんだろう。
後ろから会場全体を眺めてみた。夜の中でゆらゆら揺れる水面のように見えた。

同じバンドが好きということだけで繋がる人たち。その中に私もいた。
私の好きな音楽を、好きになっている人はこんなにもたくさんいる。

なんだか、ひとりぼっちじゃないような気がした。

部屋と本

今週のお題「わたしの部屋」

私の部屋には本がたくさんある。と言っても、ちょっと本が好きな人程度の量しかないので本好きの人達には劣るくらいと形容しておこうと思う。

そして、私は生粋のめんどくさがりやである。それら二つの要素が重なるとどうなるかと言うと、もちろん本が散らばるのだ。本棚に片付けるということの面倒くささは、めんどくさがり屋ではないたくさんの人達には理解し難いことだろう。

まず、買ってきた本は本棚の中には入らない。袋から出してベッドや机から手の届くところに積み重ねられる。読み途中の本は、読んでいた場所に積み重ねられる。机で読んでいたなら机の上に、寝る前に読んでいたのなら枕元に、移動中に読んでいたのならそのとき持っていた鞄の中にそのままになる。読み終われば読み終わった場所の一番近くの読み終わった本たちが積み重ねられている場所の上に乗せるだけだ。

というわけで、私の部屋にはいくつもの本の山がある。気が向いたとき、そして「これではいかん」と思ったときに気まぐれに本棚の中に読み終わった本は入れられるが、それだけではもちろん全ての本が片付けられるという訳ではない。片付けようと思ったものの、その最中に気になった本に手を出してしまいそのとき片付けられるはずだった本たちの山が本棚の上にできてしまっていさえする。

それに私はその場に積み上げられた本たちは、その場所に片付けられているような気がする。そういえばこんな記事も書いていた。

 

natsumikan5.hatenadiary.jp

 この記事を書いた時よりも散らばる者達は増えている。私の部屋には本が欠かせない。本があるから私の部屋であり、私の部屋には本が必要なのだ。

まだ私に読まれていない本たちは、自分の場所でじっと出番を待っている。もう読まれた本たちは、置かれてしまった自分の場所にじっと佇んでいる。もちろん綺麗な部屋ではないが本に囲まれた部屋が私は好きだ。

これからもきっと、本は増え続けるだろう。