題名のない文章たち

日記のような、そうでないような、そんなただの文章のあつまり

日記を盗み見る

好きな人が10年以上前にネット上で書いていた日記をこっそりと読む。好きな人が思い悩み、苦しみ、もがいていたその記録を盗み見る。

そして少しだけ安心する。ああ、この人はこのとき死なずにちゃんと今生きていると。私がもっている生きているうえでの何か違和感のようなものをこの人も持っているのだと。

好きな人は私に話していない私が知っているはずのないことを私が知っていることを知らない。これからもずっと、おそらく知ることはないだろう。私もたぶん知らせない。好きな人の過去を盗み見て、この人は今私のものだと安心しているのだ。あの人のことは全部知っている気になって得意になっているのだ。ずるいと思う。酷いことをしていると思う。

あの人がこのことを知ったらどう思うだろうか。たぶん内容を見られたことに関してはなにも思わないだろう。むしろ文章の稚拙さを嘆くはずだ。そういう人だ。

何食わぬ顔をしているあの人を前にして、きっと私は泣くだろう。あの人が困るくらいに泣くのだろう。

そして、ただただ、ごめんなさいと何度も言うのだろう。そしてまた、忘れたころに同じことを繰り返しまた一つ自分を嫌いになるのだ。