題名のない文章たち

日記のような、そうでないような、そんなただの文章のあつまり

めんどくさがりというのは病だと思う。

皿を洗う、洗濯物を取り込み畳む、畳んだものを片付ける、部屋を片付ける、お風呂に入る、着替える…といったちょっとしたこともなにもしたくなくなってしまう。

食事を作ることさえもめんどくさいのでしたくない。買い物に出かけるのもめんどくさいので食べない。

本を読むのも、録画した番組を見るのも、勉強するのもめんどくさい。

 

なにかしなければ、こんな何もせずに転がっているだけの生活は止めなければ、今日もまた1日何もできなかった、と自己嫌悪は募るばかりででも何もできない。動き出せない。

やはり病のようだと思う。何もできないのならせめて、ただそこにあるだけの石ころや木のようになりたいと思う。そうやって転がっていつか朽ちてしまうのを待つ石ころになれば、自己嫌悪することもなくなるだろう。

そして今日もまた、何もできなかった。