題名のない文章たち

日記のような、そうでないような、そんなただの文章のあつまり

不調と回復

私はおそらくとてもめんどくさい感覚を持って生きている。なんで私はここにいて、息をしているのか。なぜ皆そのことを疑問に思わないのか。私とはなんなのか。そもそも「私」という言葉すら私には馴染まない。周りの人間の持つ空気と私の周りにある空気がどうしても混じりあわず、空気と空気が触れ合った時の違和感。その違和感に耐えられなくて、人からそっと離れる。離れたいのに孤独が怖く、寂しくて仕方がなくなる。途方に暮れる。

大抵何かがきっかけとなって、普段はあまり意識せずにいられるのに、ふとした瞬間にこうしためんどくさい物があふれてくる。自分の周りの空気だけピンと張り、中には誰も入れない。そんな感覚。

昔はそれがなんなのか分からなかかった。なんだか疲れているのだろうと思っていた。

あながち間違いではない。体の不調も心の不調もこの感覚を呼び起こす。呼び起こされたら自分ではどうしようもない。忘れるのをじっと待つか、どこかに逃げるか。

ネットに逃げたこともある。掲示板に書き込んだ。誰とも触れ合いたくないくせに、誰かの反応が欲しくて、気を引けるならなんでも話した。ずっと画面に張り付いて、まるでその画面の中こそが自分のいるべき世界なんだと思い込もうとしているかのように。それでなんとかなっていた。そのときまでは。

本当にどうしようもないときは、どこに逃げても私には太刀打ち出来ない。ネットに書き込むことも、本の中に逃げることも、音楽を聞くことも、テレビをただつけておくことも、何もかも出来なくなる。その時の私の顔からは生気が抜け落ちているらしい。

今回ちょっとしたことがきっかけでまたそういった感覚に襲われた。久々の感覚だった。一番悪かったときと似ていた。五感は研ぎ澄まされて、人の感情もよく分かる。その代わりに、自分と他人の境界線が交わった時の違和感。人と会いたくないのに、誰かの温もりが欲しくなる。泣きたいのに、泣けない。泣き始めたら、なぜ、泣いているのか分からずに延々と泣き続ける。涙が枯れるとやってくるのは、恐ろしくなるほどに冷静で感情のない私。

回復する方法がない訳ではない。私と同じ感覚を持つ人を巻き込めばいい。求めたらいい。ただ、求めていいものか迷う私がいる。私が抜け出せずにいる穴の中に引きずり込むことになってしまうかもしれない。私の持つ、人と交わることの違和感を相手も持っているならば、近づいてはいけないと思う。

私はただ、この世界の誰もが持っているありふれた人生を歩みたいだけなのに。このめんどくさい感覚は私にそれを許してはくれない。人並みに人と関わって、それこそ抱き合ったりして生きていきたいだけなのに、私にはそれさえも遠く手の届かないところにあるように感じられる。

幸い、今回は私が一番欲しかった言葉を偶然にもかけてもらえたおかげでこの不調からは逃れられそうではある。まだまだかかるだろう。もしかしたらこの回復は一瞬だけで、またすぐにもとに戻るかもしれない。それも仕方のないことなのかもしれないと、理由もなく、ただ漠然と思う。回復したときは、抜け出せているとただ思い込んでいるだけで、私は常に暗く深い穴の底から、キラキラ光る、私とは相容れないたくさんの途方も無い数の他人の人生を指をくわえて眺めているだけなのかもしれない。それが本来の私なのかもしれない。私には分からない。