すごいなと思う
世の中の人たちは、みんなちゃんと会社に行って、働いていてすごいな。
世の中の大学生や専門学生や高校生は就職活動をしてちゃんと職を手に入れていてすごいな。
職場に合う合わないはあるだろうし、すぐ辞めてしまったとしても、ちゃんと自分の足で歩いて話してあなたが欲しいですと一度は言われているなんてすごいな。
私にもできるのだろうか。
本当にやりたいことは会社勤めじゃないけれど、そのやりたいことをやるためにはお金がいるし、今の生活を続けるためにもお金がいる。大学卒業と同時に借金返済も始まる。嫌でも働かなければいけない。
細々と嫌々来月からの準備しながら私にもできるのだろうか、みんなすごいなぁと思う。毎日毎日。
網膜剥離 術後
時間が空いたが、網膜剥離になった話の続き。
きちとんと書こうとするとついつい長くなってしまうので、箇条書き気味に書いていこうと思う。
術後、眼帯を貼られて車椅子に座ると体が鉛みたいに重いだるい。私は横になっているだけだったのにこんなに体力を消耗していたのかと驚く。左目の目頭の手術でこれなんだから、全身麻酔で何時間もかかる大手術を受けるとどんなに体力を消耗するのかと恐ろしくなる。
車椅子にぐったり座ったまま運ばれていくのはまあまあ快適だった。
病室に戻ると母とおばが待っていた。割と和やかだったような覚えがある。手術時間は予定より1時間伸びて2時間ほどかかったようだった。ベッドに寝かされ、血圧と熱を計る。微熱があった。その時母が撮った写真を今見返すと顔がかなり浮腫んでいた。
外はすっかり夕暮れ時で、母が手術の終わった旨を実家で待つ祖父母や父に連絡している間に夕食が届く。
お腹は空いていたので全部食べられた。麻酔が完全に抜けてしまう前に痛み止めをもらう。夕食が片付くと母とおばは帰り一人に。とにかく疲れているので寝る。
一度目覚めて右目だけで、スマホを見て大学関係者に手術が終わったことをメールする。目はズキズキ痛いが、右目はなんともないのでテレビも少し見ていた。再びうとうとしていると、就寝前に看護師さんが様子を見に来る。電気を消してもらって就寝。
夜中は、熱と痛みで寝ては起きてを繰り返していたような覚えがある。
朝、問診と点眼のために起こされる。眼帯を取ってもらって熱々のタオルをもらう。洗顔が禁止されているため、顔を拭く用のものである。顔を拭くと気持ちいい。散瞳薬を点眼されて、朝の診察に呼ばれるのを待つ間だけ眼帯が外される。そこで左目を見る。真っ赤だった。タオルを当てていると温かさで痛みがましになるので顔に当てて待つ。
朝の診察に呼ばれる。これは入院中毎日ある。7時くらいだったか。先生はいつ家に帰っているのだろうと不思議に思う。眼底検査をしてもらって問題なしと言われ、眼帯をしてもらって病室に戻って朝ごはん。
術後〜次の日はこんな様子。
その日の午後に大部屋のベッドが空いたために大部屋に移った以外は特別な出来事はなかった。
入院中の1日は、朝の診察と毎食後の点眼以外は基本的に自由。首から下のみ入浴可だったので午後の暇な時間にシャワーを浴びたり、見舞いに来てくれた人と院内のカフェで話し込んだりしていた。
目の痛みは痛み止めを飲むほどではない程度に2日目辺りで落ち着いた。眼帯をしているとは言え、右目と一緒に左目も動くのでそのときは痛かった。充血はかなり長い間続いた。
結局術後の回復が早く、入院期間は3日で済んだ。眼帯も退院と共にしなくてもよくなる。その後4日間自宅療養。術後1週間後の診察で学校に行ってもいいと言われたため大学復帰。
その後は現在に至るまで定期的に検査を受けに行っている。発見が早かったため、後遺症はほとんどない。目が疲れやすくなったような気はするが、視力に影響はない。(もともとド近眼ではあるが)
もうあの痛い手術は受けたくないので、左目の再剥離がないことと右目は今後も問題なくあって欲しいと思う。
最後に、飛蚊症が酷くなったり、光視症の症状が現れたような気がしたら迷わず眼科へ行くことをおすすめします。
星野源『子供』
最近やたらと流行っている星野源。今20代を少し過ぎた私が10代半ばから曲を聞いていて知っているので今の人気具合が少し不思議。
例えて言うならば、中学生の頃は一緒に教室の隅でこそこそ内緒話をしたり周りが分からないようなマニアックな話をしてクスクス笑っていた友達が、高校に上がったとたん見た目も明るくなってクラスの中心人物になり、周りにたくさん人がいるようになったのを、遠くから眺めているようなそんな感じである。
それはさておき、
私の好きな曲がある。それはアルバム「ばかのうた」に収録されている『子供』という曲だ。
短く静かな曲ながら、私の思う幸せはこれだというものが詰まっている。
少し歌詞を引用してみる。
朝起きて 目を開けて 隣に君が
腹へって 冷蔵庫 開けて二人は
ぼんやりとチューするの
朝起きて隣に「君」がいること。いつもの通りの日常の中に「君」が一緒にいること。そしてそれがとても幸せであること。
聞いているとそれらがなんとなく分かって、切なく、もどかしくなる。
ああ、私の隣にも「君」がいたらいいのに。夜寝る時、朝目覚めた時、休日、隣に「君」がいたなら。そういう甘酸っぱいもやもやで心がいっぱいになる、そんな曲である。
『恋』や『SUN』だけじゃない、星野源をなんとなくもっといろんな人に知ってもらいたいなんて思いながら、テレビの中で歌う彼を見ている。
さみしさ
一人暮らしをするようになって、三ヶ月か半年に一回七時間程度しか会えなかったのが、二週間に一度ほど会えるようになった。
いろんな場所に出かけられるようになった。一緒に買い物に行き、一緒に料理をして、一緒に寝る。そんな当たり前の日常を過ごせるようになった。
たくさん会えるようになって会えないさみしさは少なくなった。
それなのに、別れの時は今生の別れのようなさみしさと悲しさに押しつぶされそうになる。またすぐ会えると分かっているのに。
会える回数が増える分、さよならの数も増えるのだ。別れてさみしいと感じる回数も増えるのだ。
さみしい、また会いたい。そう思いながら、帰っていく後ろ姿を見えなくなるまで眺めていた。
涙
小学生の頃、近くの老人ホームに行って、お婆さんやお爺さんの似顔絵をその場で書いてプレゼントするというのをやらされたことがある。
お爺さんお婆さんは、椅子や車椅子に座って丸だったか半円だったかの形で真ん中にいる私たちを取り囲んでいた。
私はなんとなく、この人を書こうと思ったら何も言わずに黙々と書いて書き終わったら本人に「あなたを書きました。どうぞ」みたいなことを口の中でゴニョゴニョ言いいながら渡していた。
職員さんが私に気づいて「〇〇さん、よかったねぇ」とか言ってフォローしてくれたから、絵はなんとか受け取って貰えていた。
3人目か4人目くらいに書いたお婆さんがいた。黙々と書いて、またゴニョゴニョいいながら絵を手渡そうとすると首を振って何か言葉になってない言葉を言われたような覚えがある。
受け取ってもらえなかった私は狼狽えて、でもなんとか渡さないとと半ば無理矢理手に持たせた。お婆さんは目に涙を浮かべていた。
お婆さんは私の絵を目の前のテーブルの上に、手でちょっと払うようにして、置いた。やっぱり涙を流していた。いらないんだとすぐ分かった。
その様子を狼狽えたままぼんやり眺めていたとき、隣にいた他の生徒の声を聞いて我に返った。
「あなたの似顔絵を書いていいですか?」
みんなそうやって書く前に聞いて、書いたらどうですか?とニコニコしながら絵をプレゼントしていく。わぁ、ありがとうという声。照れくさそうな顔。
みんな聞いてたんだ。私には思いつかなかった。私の絵を受け取った人はみんな仏頂面でしかめっ面で。でも、書いてもらっていると知っている人たちは澄ましたりにこにこしていたり様々だ。
なんとなく、周りと自分との違いにショックを受けて、お婆さんの顔がいつまでも目に焼き付いていて、もうそれ以上絵は書けなかった。