題名のない文章たち

日記のような、そうでないような、そんなただの文章のあつまり

日記を盗み見る

好きな人が10年以上前にネット上で書いていた日記をこっそりと読む。好きな人が思い悩み、苦しみ、もがいていたその記録を盗み見る。

そして少しだけ安心する。ああ、この人はこのとき死なずにちゃんと今生きていると。私がもっている生きているうえでの何か違和感のようなものをこの人も持っているのだと。

好きな人は私に話していない私が知っているはずのないことを私が知っていることを知らない。これからもずっと、おそらく知ることはないだろう。私もたぶん知らせない。好きな人の過去を盗み見て、この人は今私のものだと安心しているのだ。あの人のことは全部知っている気になって得意になっているのだ。ずるいと思う。酷いことをしていると思う。

あの人がこのことを知ったらどう思うだろうか。たぶん内容を見られたことに関してはなにも思わないだろう。むしろ文章の稚拙さを嘆くはずだ。そういう人だ。

何食わぬ顔をしているあの人を前にして、きっと私は泣くだろう。あの人が困るくらいに泣くのだろう。

そして、ただただ、ごめんなさいと何度も言うのだろう。そしてまた、忘れたころに同じことを繰り返しまた一つ自分を嫌いになるのだ。

薬をもらった

病院に行った。いろいろ話す内容は考えていったが、結局うまく話すことはできなかった。先生は頭でっかちになっているようだと言う。もっと周りの人に甘えたっていいと言う。それができなかったから、ここに来たのになぁと少し思った。それができるようになったらどれだけ楽に生きていけるようになるのだろうかとも少し思った。

まだ病名が付くような段階ではないのだろう。特にそういう話はされなかった。少しだけほっとした。気になる病気をたくさん調べて、これだったらどうしようこれだったら嫌だなと思っていたから全部違ってほっとした。

でも、ほんの少しだけあなたが怠けている訳ではないのだ病気のせいなのだと言ってもらえるのを期待してしまっていた。自分が眠れない動けないことへの免罪符になるような気がしていた。私はずるいのかもしれない。

とりあえず弱めの睡眠薬を出してもらった。睡眠を改善して、生活リズムを整えるところから始めることになった。あとは、悩みの種になっていることを学校の指導教官に頑張って相談してみること。それを何回も言い聞かされた。

初めて薬を飲んでみた。すぐには眠くはならなかった。体はちょっとだけ重たくなった。いつの間にか眠っていた。眠ったり起きたりを繰り返して朝になっていた。夢もたくさん見た気がする。でも、起きたときまだ午前中だった。そんな時間に起きられたのは久しぶりだった。それだけで嬉しかった。

今日は買い物にも行けた。壊れていた自転車を修理に出せた。ほんの少し勉強もできている。ちょっとずつうまく生きていけているような気がした。

今日もちゃんと眠れるといいと思う。

病院にでも行こうかと思う

病院にでも行こうと思う。

数日前から、いやそれよりももっと前からどうも調子が悪い。

もともと寝つきが悪かったのがどんどん悪くなっている。寝つきが悪いというよりは、寝付くまで黙って目を閉じて待っていられない。待っていられなくて目を開けて何かをしてしまう。夜が明けてきてようやく眠気に耐えられなくて眠りにつく。そんな毎日だ。

何かにとりかかることに努力がいる。もともとめんどくさがりやで家事なんかは極力やらなくてよければやらずに後回しにしていた。それが、やらなくてはいけないような状態になっても何もできない。一日ベッドに寝転がって何もせずにただ大きなモニターと小さなモニターを眺めて過ごしてしまう。

卒業論文が全く進んでなくて、でも勉強に取り掛かることもできなくて、焦りと罪悪感と不安だけが募っていく。

苦手だった電話がもっと苦手になった。かかってくると分かっていても緊張と、何か怒られたりするのではないかという不安と恐怖感に包まれてしまう。

せめて、夜にすっと眠ることができて朝ちゃんと起きられるようになれば少しは調子が悪くなくなるのではないかと思う。だから、簡単に眠ることができるようになる薬か何かが欲しい。

一度病院にでも行こうと思う。だから、電話をかけた。予約がいっぱいらしい。結構世の中の多くの人が私と同じように眠れていないのかもしれないと思った。

それでも生活は続く

サークルの同期が死んだ。突然の連絡だった。いや、どこかでそんな予感はしていた。きっと長くないのだろうと。

大きな病にかかって、でもまだ死なない大丈夫、一年で戻ってくると言っていたのはほんの一年と半年前。

どんな顔をしたらいいのか、どんな話をしたらいいのか分からなくて会いに行けなかったことを、会いに行かなかったことを、今更後悔しても遅い。

元気がないのも知っていた。でも向き合いたくなかった。きっとそのうち戻ってくるだろう。まだそんなに重大な事態にはなってないのだろう。大丈夫だろう。そんなふうにずっと思って、向かい合うのを拒んでいた。そんな私を許して欲しい。

 

今でも、いつか、学校ですれ違って、久しぶりなんて言い合って笑うような気がする。

 

あれは、いつだったか

活動が終わったあと、一緒に家まで歩いた。自転車を置いて、近所のラーメン屋さんで一緒にラーメンを食べた。

楽しかった、と言ってくれた。多分はじめて2人きりで食べた晩ご飯だった。

 

入院が決まってすぐに、サークルは部活になった。流星群を見に行けるほどの規模になった。

いつか、みんなで流星群を見に行きたいと言っていた君のことを私は忘れない。忘れたくない。君のいない生活が続くとしても、忘れない。

 

明日は多分、星が綺麗だろう

夜の山

冬の夜寒い山の上に行ったことがあるだろうか。

体の芯から冷えるように寒く、音はなく怖いくらいにしんとしている。月がない日は光はない。自分の手足くらいしか見えない。

真っ暗な闇の中に自分ひとりだけ取り残されたような気持ちになる。視野が酷く狭くなってしまっているような気がする。

でも

ふと見上げると、何千何万もの星ぼしの光で溢れているのだ。星座表には載っていないような星もぼんやりと見える。

何も無い暗闇の中で星ぼしが光り輝いているのを見ると、なぜだかほっとするのだ。

そういう感覚を経験できただけで、私の中に何かが残った気がする。それだけでいい気がする。

 

何かに悩んで動けなくなって、自分の手足しか見えなくなるくらい視野が狭くなった時も多分同じ。

見上げれば必ず星が輝いている。遠くを見ることが出来れば違う景色が見える。

それを知っているだけで私は多分大丈夫。

未来

私はいつか必ず文章を売って生きていけるようになるのだと思う。根拠はないがそれだけは、一欠片の疑いも不安もなく、もうそうなると決まっていることだろうと漠然と思う。

浪人生時代、毎日どれだけ勉強しても、模試でいい成績をとっても、これっぽっちも希望の大学に受かる自信なんてなかった。

今、大好きな人に大好きだと言われても、本当にそうだろうか。いつまでも好きでいてくれるのだろうかとすぐ不安になる。

それなのに、物書きになる未来は疑いようのない事実であるような気がする。いつか必ずそうなると自信を持って言える。

これから始まる就職活動や卒論の執筆については不安だらけなのに。